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灘風 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
灘風
灘風
基本情報
建造所 舞鶴海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆逐艦
哨戒艇
級名 峯風型駆逐艦
第一号型哨戒艇
建造費 2,028,495円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 1917年度(八四艦隊案
起工 1920年1月9日
進水 1920年6月26日
竣工 1921年9月30日
最期 1945年7月25日被雷沈没
除籍 1945年9月30日
その後 1940年4月1日哨戒艇編入、第二号哨戒艇と改名
1941年高速輸送艦に改造
要目
基準排水量 駆逐艦時:1,215トン
哨戒艇時:1,270トン
公試排水量 駆逐艦時:1,345トン
哨戒艇時:1,700トン
全長 102.6メートル
水線長 99.8メートル
最大幅 8.92メートル
吃水 駆逐艦時:2.79メートル
哨戒艇時:2.9メートル
ボイラー 駆逐艦時ロ号艦本式缶 4基
哨戒艇時:ロ号艦本式缶 2基
主機 パーソンズタービン 2基
推進 2軸
出力 駆逐艦時:38,500馬力
哨戒艇時:19,250馬力
速力 駆逐艦時:39ノット
哨戒艇時:20.0ノット
燃料 重油395トン
航続距離 14ノットで3,600カイリ
乗員 154名
兵装 駆逐艦時
45口径三年式12cm砲 4門
三年式機銃 2挺
53.3cm連装魚雷発射管 3基
(魚雷8本)
一号機雷 16個
哨戒艇時
45口径三年式12cm砲 2門
九六式25mm機銃 連装3基、単装4挺
爆雷 18個
搭載艇 内火艇x1隻、20ftカッターx2隻、20ft通船x1隻
その他 大発2隻
陸戦隊約250名収容可能
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上空より撮影された「灘風」。大正10年から翌年にかけての公試中。

灘風(なだかぜ)は、日本海軍駆逐艦峯風型駆逐艦の5番艦である。1940年に哨戒艇に改造され「第二号哨戒艇」と改名した。艦名は灘に吹く風に由来する。

艦歴

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舞鶴海軍工廠で建造。一等駆逐艦に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。竣工後直ちに第三駆逐隊に編入された。

1937年(昭和12年)から1939年(昭和14年)にかけて、日中戦争に伴う華中華南での沿岸諸作戦に参加。

1938年(昭和13年)12月、第三駆逐隊は解隊し、馬公要港部付属となり、1939年(昭和14年)1月、予備艦となった。

1940年(昭和15年)4月、哨戒艇に改装され艦種変更、「第二号哨戒艇」と改名される。太平洋戦争開戦直前、後甲板・艦尾を改造し、大発2隻を搭載する強襲揚陸艦となり、12cm単装砲1門と魚雷兵装を撤去し陸戦隊約250名収容可能の居住区を設けた。

開戦後、フィリピン蘭印攻略作戦に参加。1942年3月から4月には西部ニューギニア戡定作戦に参加。ついでラバウル方面で対潜哨戒、人員輸送、船団護衛に従事した。

1943年(昭和18年)1月、内地に帰投し第1海上護衛隊に編入された。高雄を基地として門司サイゴンシンガポールマニラ方面で船団護衛を実施した。1943年12月、第22特別根拠地隊に編入され、バリクパパンを根拠として船団護衛に従事した。

1945年(昭和20年)7月25日、小スンダ列島ロンボク海峡でイギリス潜水艦「スタッボーン (HMS Stubborn)」の雷撃を受け沈没。

歴代艦長

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※脚注無き限り『艦長たちの軍艦史』223-224頁による。

艤装員長
  • 江口喜八 少佐:1921年1月10日[1] - 1921年1月29日[2]
駆逐艦長
第一哨戒艇隊特務艇長[注釈 1][注釈 2]
哨戒艇長[注釈 2]
  • 鬼頭竹次郎 予備大尉/大尉/少佐:1943年2月15日[16] - 1945年7月25日 戦死、同日付任海軍中佐[17]

注釈

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  1. ^ 海軍辞令公報上の職名は全員が「第一哨戒艇隊特務艇長兼分隊長」で、誰がどの艇の艇長なのかは記載されていない。本艇については他艇の人事記録や戦時日誌戦闘詳報と突合せを行うことにより、当時の特務艇長の判定が可能。第一哨戒艇隊特務艇長は海軍省が発令するもので、防備隊編制令や哨戒艇乗員標準による制限を受けない。
  2. ^ a b 昭和18年2月15日付 海軍大臣達 第23号による艦船乗員服務規程第1条第2項の改正で哨戒艇長が新設されるまでは、第一哨戒艇隊特務艇長を除き、本艇に限らず哨戒艇の艇長は公式には存在しない。

脚注

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  1. ^ 『官報』第2530号、大正10年1月11日。
  2. ^ a b 『官報』第2547号、大正10年1月31日。
  3. ^ a b 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
  4. ^ 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
  5. ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  6. ^ 『官報』第4245号、大正15年10月16日。
  7. ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
  8. ^ 昭和3年7月24日付 官報第472号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2956933 で閲覧可能。
  9. ^ 『日本海軍史』第9巻、231頁。
  10. ^ 昭和8年5月2日付 官報第2897号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958369 で閲覧可能。
  11. ^ 昭和12年12月1日付 海軍辞令公報号外 第99号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700 
  12. ^ 昭和13年12月3日付 海軍辞令公報 (部内限) 号外 第268号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074700 
  13. ^ 昭和14年3月10日付 海軍辞令公報 (部内限) 第312号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075500 
  14. ^ 昭和16年11月20日付 海軍辞令公報 (部内限) 第752号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072083200 
  15. ^ 昭和17年4月10日付 海軍辞令公報 (部内限) 第841号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072085100 
  16. ^ 昭和18年2月16日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1054号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089700 
  17. ^ 昭和20年11月12日付 海軍辞令公報 甲 第1979号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072108200 

参考文献

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  • 『丸スペシャル』第51号 日本の駆逐艦Ⅱ、潮書房、1981年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、第9巻、発売:第一法規出版、1995年。

関連項目

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